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Test Pressing

インタビュー / フィル・マイソン / Cantoma

フィル・マイソンは、約25年間第一線で活躍しているDJだ。彼は、自身の音楽信念を貫き通し、1980年代後半の流行時から現在まで“バレア リック・ビート”という大冒険に参加している数少ないイギリス人のDJだ。彼はまたミュージシャンとして活躍しており、ピート・ハーバートと共に Reverso 68名義で、またCantomaというソロ名義で数多くの歌手と演奏者と共に音楽制作を行っている。フィルは、また“白い島”と呼ばれている、イビザ島に 数え切れないほど滞在しており、長年この島に関する記念品の数々を収集し、巨大なアーカイブを保持している。イビザ島に関する本、ポスター、雑誌 の記事、そしてあの伝説的なカフェ・デル・マーのミックス・テープの数々。我々Test Pressingが立ち上げた時から、フィルから数多く 何本かのミックス・テープを譲り受け、我々は彼に対して永久に感謝を贈りたい。Cantoma名義の3枚目のアルバム『Just Landed』が最近(日本で)発表され、新プロジェクト、Ambalaのプロモを手に入れ、また彼自身の待望の来日ツアーが迫っている中、我々はフィ ル・マイソンと本人の近況について、話しました。

Translation by Ken Hidaka.

貴 方はどのくらいDJ / 音楽制作をしているのでしょうか?

1987年に同級生の何人かとDJをし始めた。最初にロンドンで行ったちゃんとしたギグは、1991年の時でした。1997年頃から音楽制作を開始した。

そのロンドンでのデビュー・ギグはどこで行ったの でしょうか?

1991年の9月頃に、(アンダーワールドの)ダレン・エマーソン の前座として、ロンドンのソーホーに所在しているクラブ、ザ・ミルク・バーで初のDJギグをしました。彼のパーティの名前は“リセッション・セッション”でした。

このギグは、貴方に取って長い間続いたレジデン シーになったのですよね。当初どのようにこのギグを手に入れたのでしょうか? ダレン・エマーソンは昔からの友達だったのでしょう か?

私は、メローなカフェ・デル・マー・スタイルの ミックス・テープを作り、友人のトニーにあげた。彼がたまたまカー・ステレオで私のミックス・テープをプレイしていた時に、ダレンが 助手席で聴き気に入ってくれ、彼自身がミルク・バーでDJしていた月曜日のパーティで前座DJしないかと私に誘ってくれた。初めて私はミルク・バーに行った時、ダニー・ランプリングの“ピュア・セクシー” というパーティが開催していた時で、その夜の前座DJはドム・ムアが素晴しいセットをプレイしていた。私 はミルク・バーでプレイした時、彼のスタイルを意識していた。ダレンとは、1988年に共通の友人を通してあるクラブで初めて会った。 彼はそのクラブでハウス、アシッドとバレアリックな音楽をやすやすとミックスしていた。彼は素晴しいDJだ。
 
ミ ルク・バーで月曜日に初めてプレイした時、私はブライアン・フェリー「Nocturne」、ウィリアム・オービット「Riding To Rio」、ペンギン・カフェ・オーケストラ「Air」とかかけ、自分のセットの幕を開けた覚えがある。その後の記憶が定かではないが、ホンコン・シンジケート「Too Much」やE.V.O.E.「Este Amour」をプレイしたのをうっすらと覚えている。素晴しい 夜でしたが、他に繋がると期待もしなかった。ダレンが辞めた数ヶ月後、私は当店のマネージャーであるクリス・ファニングとミルク・ バーで話していて、新たにポール・ハリスがメインDJとして務める月曜のパーティで、前座をやらないかと 誘われた。このパーティは明らかに超流行ったクラブ・ナイトにはならなかったが、1992年の始めから閉店するまで毎週月曜の夜のこのパーティで前座DJを務め、最高に楽しんだよ。ウォッカ・ジェリーとベックスのビールを飲みまくり、酔っぱらい、幾度と素晴しい パーティを成し遂げた。(ザ・ミルク・バーのオーナーである)ニッキー・ホロウェイのお陰でした。始まった頃にはそんなに忙しくはな かったので、彼は他のDJを試す事を容易に出来たが、幸いにもそうはしなかっ た。

当時、どんな他のクラブで貴方はDJしていたのでしょうか?

私は、ミニストリー・オブ・サウンドの金曜に定期的 にプレイしていた。Raw Clubでデイヴ・ドレル(クラブ・アンセム「Pump Up the Volume」を出したM/A/R/R/Sのメンバーで有名)がオーガナイズしたパーティ“パイレートTV”や、1980年代の初旬にカムデン・パラス(クラブ)のドアマン をしていたローズメリー・ターナーがオーガナイズしていた何個かのパーティでもDJしていた。さらにクリス・シャーキーという友人が やっていたローカルのパーティでもDJした。特にタイヤ工場でやっていたパーティは印象的 でした。

ホゼ・パディーヤと出会った経緯を教えて下さい。カ フェ・デル・マーでのDJギグをどのように手に入れたのでしょうか? カ フェ・デル・マーの全盛期に、他のイギリス人のDJがプレイしていたでしょうか?

1992年の11月頃にホセと初めてロンドンのタグ・レコードという レコード屋で会った。その時、やっとの思いで彼の事を気づき、カフェ・デル・マーのDJだろうと予感し勇気を持って話をかけた。彼に同年の夏に私の友人から、彼に渡す為に自分が作ったミックス・テー プを受け取ったかどうか問いかけた。その当時彼自身の英語が堪能ではなかったが、ちょっと時間がかかったが私が何を言わんとしている のかを判ってくれた。私はその夜にミルク・バーでDJしていたので、彼に遊びに来てくれ、少しプレイして くれないかと誘った。彼はミルク・バーに来てくれ意気投合し、その後二人でサウスエンドでのサンルームズのというパーティ、ミニスト リー・オブ・サウンドの2階の小さな部屋等幾つかのパーティで一緒にプレイした。1993年の4月、一ヶ月間タイでDJするオファーを受けたので彼は私にイビザに行き、その不在の一ヶ月カフェ・デル・マーでDJしてくれないと誘ってくれた。勿論は私は即座にOKした。私はイビザ行きの航空券を購入し、旅立つ前夜 にホセがミルク・バーに現れ、自宅のカギを渡してくれた。そしてカフェ・デル・マーのオーナーの一人であるペペが空港に私をピック アップしてくれると教えてくれた。彼は私を空港で歓迎してくれ、サン・ラフィエルの山の麓にあるホセの家まで案内してくれた。到着し たら、ホセが不在時に泊まっていた何人かの女性が滞在している事が判明した。当初私が泊まる事に不満でしたが、イビザ・タウンにある ジェリー・ケリーが運営していたキャット・ウォーク(というクラブ)で彼女等と数晩遊んだ後に仲良くなった。
 
私 が知る限り、カフェ・デル・マーで初めてDJしていたイギリス人のDJは、グレン・ガナー(Street Corner Symphony名義 や、レイ・マング、ピートZ共にBlock 16 (Nuphonic) のメンバー)だ。彼は1990年にプレイした。また、Martyn The Poetの友人であるポールも当時プレイしていた。1992年にポール・デイリー(元レフトフィールド)がカフェ・デル・マーでプレイしたナイスなミックス・テープを聴い た事がある。私は1994年の夏に初めてカフェ・デル・マーでプレイした。DIYのディッグス&ウーシュは何回かゲストDJとして招かれ、デンマークのケネス・バーガー(Music For Dreams主宰)や、またDJハーヴィーも何回かサンセット・パーティでプレイしたよ。

DJハーヴィーは、昔貴方の事を最もお気に入りのDJの一人だと断言したことがある。ハーヴィーといつ、どこで会ったのでしょうか?

は い、彼が一度そう言ってくれて、そのコメントが不思議にジョッキー・スラット誌に掲載されたの! 私は、ある日カフェ・デル・マーでDJしていた。モー・ワックスから出ていたジャジーなヒップホップ系の楽曲をプレイしていて、ハーヴィーがDJブースに立ち寄り、この曲はパット・メセニーに似ているね、とコメントし、我々はしゃべり始めた。彼に翌日のサ ンセット時にカフェ・デル・マーでDJしないかとその場で誘った。彼のプレイを録音する準 備をしてテープを持って来たが、残念な事に私は会話に夢中になり、録る事をすっかり忘れてしまった。その時彼はアジムス、パット・メ セニー等をプレイし、素晴しかった。

貴方は昔からケネズ・バーガー主宰のレーベル、Music For Dreamsから多くの作品を出していますよね。貴方はいつ、ど こでケネスと出会ったのでしょうか?

1993年にロスキルド・フェスティバルでケネスと出会った。彼は風変わりの服装を着ていて、ID誌に掲載していた彼の写真を覚えていて、彼の事を識別する事が出来た。私はイビザから戻って来たばかりで、結果 的に音楽の事を彼と話した。同年の暮れに彼が運営していたコペンハーゲンのクラブ、フレックスでDJするのを誘われ、セザール・デ・メレロと一緒にプレイした。とても愉快な夜でした。

貴方は未だに毎年イビザに行きますか?

はい、なるべく行ける時に訪れている.

どこでプレイしているのでしょうか?

最近はほとんど友達のためにの小さなパーティに呼ば れ、イビザに行っている。去年パイクスで“Mercury Rising”というパーティに呼ばれ、プールサイドで前座感覚 でDJをした。その夜は素晴しくて、とても楽しかった。

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最も誇りに思っている自身の作品/リミックスは何で しょうか?

Cantoma名義でしたら「Pandajero」、ピート・ハーバートと一緒に制作したLukeのリミックス「I Love You」、Apollo Heights「Sad Cabaret」のリミックス。新作収録の「Alive」も凄く気に入っている。

新作『Just Landed』では、貴方はBing Ji Ling、ブレンダ・レイ、ハヴィエ・ベルジアとダニー・ラ ンプリングとコラボレイトしました。彼等との共作の経緯を教えて下さい。

私 は2008年にクイン(Bing Ji Ling)とニューヨークのロフト・パーティで出会い、その 後に彼から自身の作品を送って貰った。彼がロンドンに来た時に再会し、共作しようと決意する。
 
あ る日ムーンブーツからブレンド・レイ作「Theme From A Tall Dark Stranger」を聴かせてくれ、即気に入った。彼とジェイソン(ボードマン)が運営しているAficionadoから彼女の楽曲を以前発表していた。ムーンブーツが 彼女の事を紹介してくれ、ブレンダは親切に私の共作する事に合意してくれた。Eric’s (リバープールの伝説的 なポスト・パンク・クラブ)で過去にロジャー・イーグルと一緒に仕事をしたり、It’s Immaterialと客演し、彼女は輝かしい音楽歴の持ち主であり、特 殊な音楽制作方法で創造する方なのだ。
 
昔 から私はFinis Africaeの作品をカフェ・デル・マーでよくプレイしていた が、ハヴィエ・ブルジアのソロ作品は知らなかった。タコとジェイミー・テラー(Redlight Records/ Music From Memory)は既に知っていて、Emotional Responseのチャ ギーは、彼のコンピレイションを出していた。チャギーからの紹介で、私はスペイン人の友人の通訳の手助けのお陰で、ハヴィエと旨くコ ミュニケイションを取る事が出来た。ダニー・ランプリングはCantomaのデビュー・アルバムを大いに気に入ってくれ、2作目に解説を執筆して貰った。そんな流れで、彼に新作に共作しないかと誘った。

貴 方の2016年の残りのプランを教えて下さい。

1 週間後くらいに来日する。日本に行くのは、凄く楽しみにしている。Suburbia Records/ Disk Unionから『Just Landed』の日本盤とコンピレイション『Cantoma For Good Mellows』を出したばかりだ。日本でのリリース後、5月2日に日本以外全世界で新作を発売する。新作アルバムの発売記念に、ロンドン、イビザとカリフォルニアでリリー ス・パーティを行う予定だ。
 
ま た、Music For DreamsからAmbala名義のアルバムを出す予定。さらに新しい、よりアップテンポのバレアリック・プロジェクトを制作する予定で、8曲入りのニュー・エイジ・インスト・アルバムを計画中だ。だが、ほとんどの空き時間は友達とハングアウトし、一 杯飲みながら、楽しむ予定だ.

  • 4 / 14 / Cafe Apres-Midi
  • 4 / 15 / Circus Tokyo
  • 4 / 17 / Circus Osaka
  • 4 / 19 / Dommune
  • 4 / 20 / Malmo
  • 4 / 21 / Kong Tong
  • 4 / 22 / HMV In Store
  • 4 / 22 / Cafe Apres Midi
  • 4 / 23 / Good Mellows
  • 4 / 24 / CAY
  • 4 / 26 / Brooklyn Parlor
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